7月17日に、キックオフとなる会議「刑務所アート展、公募のテーマを考える」を開催しました。
参加してくださったのは、マザーハウスのスタッフ(元受刑者の当事者)が8名、他の参加者が4名でした。
刑務所の中で表現活動がある意味って?
刑務所アート展の公募テーマを考える前に、まずは刑務所という場所で、その生活の中で表現活動がどのような意味を持つのかを考えるにあたり、元受刑者の当事者でNPO法人マザーハウスの代表である五十嵐弘志さん、龍谷大学法学部教授の石塚伸一先生にお聞きしました。
五十嵐さん:刑務所の生活というと、まず朝はたしか6時25分の起床からはじまります。布団をたたみ、舎房着に着替え、顔を洗い、ご飯を食べ、そして工場へ行くのですが、その直前には点検という、刑務官が各舎房をまわって点呼をするというのがあります。工場に行くのはだいたい8時ごろになり、舎房着から工場での作業着に着替えますが、その時には身体検査があります。工場にいくと、全員で整列し、大声で通し番号を言って人数を確認し、安全規則を唱え、作業点検をし、作業に入ります。
午前に一度休憩、昼に食事の休憩、午後にも一度休憩があり、その中で週に3回の運動、週に2回の入浴があります。自分達の舎房に帰るのが、午後5時少し前になり、少し早い夕食をとって、夕食後の午後6時からテレビ視聴があり、8時55分までが自由な時間(余暇時間)で、手紙を書くのもテレビを見るのもできます。土日も作業はなく、テレビ視聴など、余暇時間として自由な過ごし方をします。
そうすると表現活動をする時間というのは、土日が多くなるのではないかと思います。ただ、外に出れるわけではないので、全て自分の頭の中の想像で考えないといけません。
石塚先生:今、五十嵐さんから表現活動をやれるのは「余暇時間」だというお話がありました。日本の刑罰は懲役刑が基本です。つまり、刑務作業=働くことが中心にあり、その働くことを全うするにはどのような環境が良いだろうか、ということを考えます。その時に、働くには「余暇」が必ず必要ですよね。
今、社会にも当たり前にある働き方、つまり月曜〜金曜まで9時〜5時で働く、休憩時間は何時間、時給はいくらかといった時間を管理して働く社会は明治期に作られ、それに呼応するかたちで懲役刑も作られたのです。それは、社会に出ても「働く人」をつくるためであり、そのために決められた期間閉じこめて働くことを強制する場所が現在の刑務所です。
では、余暇活動は何のためにあるかというと、働くための環境を整えるため、基本は「改善・更生に役立つため」といわれます。
府中刑務所には『富士見』という文芸誌がありますよね。受刑者がつくっている文芸誌です。少年院では、非常に精巧な貼り絵があったりします。非常に根気と集中力のいる精神統一のような創作活動のようにもみえます。こうしたものは、改善・更生に役立つ余暇活動として行われているというのです。
ですが、私は違う見方もあると思っています。誰でも子どもの頃、何も言われなくてもその辺に絵を描いたりしますよね。それはなぜか。何か描きたい、表現したいというのはとても自然な欲求で、結局”生きるため”なんじゃないかと思います。受刑者たちも、改善・更生のためにやっているわけじゃないですよね。
ところで、みなさん、「気をつけ」の立ち姿勢をどのように見るでしょうか。動かないのだから、何もしていない楽な状態に見えますが、動かないために筋肉を使っていますよね。実は、体はぐらぐらと動いている方が楽なリラックスした状態です。体が動くことの方が自然で、「気をつけ」というのは強制的に止めているわけで、緊張した状態です。これと同じで、動けずに閉じ込めておくことというのは、それだけで苦しいものであり、それだけで十分に刑罰足りえるのです。
動いていることが自然であるのと同じく、表現活動や創作活動というのもまた、人間の自然な欲求にもとづく行動で、自由刑がその活動まで奪うことはおかしいとは思うので、この企画を通して生きている証、表現したいものを表現したものを見たいと思います。
刑務所の中の余暇活動って何してた?
ここからは、刑務所での服役経験をもつ当事者を中心に余暇活動で何をしていたかを聞いてみました。
Aさん:自分は将棋をやっていました。あと、字を書く時に手が震えるのを直したいと思っていたので、自己啓発の本などに書かれていることをノートに書き写すことをしてました。
Bさん:独居にいたことが多かったですが、漫画や週刊誌などを読んでいました。あと、自分も字が下手なので漢字の練習なんかをしてました。雑居にいた時は、やはり人がいるので、話をすることが多くて、将来出所したら何するかとか、そんな話をしてました。あとは、将棋。居室に必ず将棋やオセロなどがあったので、将棋をやる人は多いですよね。
五十嵐さん:日曜にNHKののど自慢が流れてたので、誰が優勝するかで賭けをしたりしました。日曜はアメ玉が配られる日で、それが賭けの対象でした。あとは、自分は高齢受刑者の養護にあたっていたので、余暇の時間であってもその対応をしていたりしました。読書は、消灯後の時間にする「ヤミドク」というのをバレないようにやってました。今は、早朝の読書は認められているらしいことは聞いていますが。周囲で多かったのは、絵を描く人、詩や俳句を書く人もいました。外にいる支援者を頼って、一般の公募展に応募する人もいました。
Cさん:まずはテレビを見るのが多かったです。周囲では、囲碁・将棋はやっぱ多いですね。賭けをする・しないは問わず。あとは、自分のところでは、運動の時間にカラオケができたんですよ。講堂で。自分はやりませんでしたけど、カラオケやる人もいましたね。
Dさん:自分は、先ほどお話にあった府中刑務所の文芸誌『富士見』の編集委員をやってました。自分自身も俳句を一生懸命やっていて、講師には非常にきびしい先生がいて、それでも楽しくやってました。
Eさん:自分は印刷工場にいたので『富士見』の印刷をしてました。あとは、囲碁クラブに入っていて、けっこう強くなりまして初段ちかくまでなりました。大会があって、そこで優勝もしました。
Fさん:私は読書してました。同じ部屋の人に借りたりもして、読書ぐらいしかすることがなくて。雑居だったので、一人で何か集中してってことも難しかったので、横になったふりをして考え事をしたりとか。
Gさん:自分は自身がクリスチャンであることもあり、神学や哲学の本を読んでいました。でも、難しくてわからないことも多かったです。それでも、ノートに書きながら本を読んでました。自分は、絵の学校にも通い、今でも描くことはあるのですが、中では道具がなかったので絵を描くことはしていませんでした。アイデアなんかをノートにメモしたりはしましたが。
もし、刑務所にいたら何をしていたか
他の参加者(非当事者)からは、刑務所にいたら何をしていたか想像してもらいました。
Hさん:今までの話を伺って、読書くらいしか、自分ができることはなさそうだなと感じました。今回の公募展も、はたして何か表現を考えてもらう、そうしたこともできる環境なのだろうかと考えてしまいました。
Iさん:自分は、職員として刑務所で働いていたことがあります。再犯防止の指導などの関係で、普段の受刑者たちの生活はあまり知りませんでした。
Jさん:先ほど、五十嵐さんのお話のなかで、一般の公募展に応募するには、外の人を頼って応募しなければならないと伺って、この企画がそうした助けになるといいなと感じました。
公募展のテーマを考えよう!
それではいよいよ、公募展のテーマについてアイデア出しを行いました。
Kさん:「出所してから何をしたいか」「自分の未来像」なんかは考えやすいんじゃないでしょうか。
Cさん:「今までの人生で一番楽しかったこと」「楽しかった時期」はどうでしょうか。誰にでも一つはあると思うので。
Dさん:独居の生活で俳句を書くなかで、内装の作業をしていたのもあり、「空に浮かぶ雲」や「木」といった風景をよく見ていたので、そんなテーマを考えました。
Fさん:「子どもの頃の思い出」はどうでしょうか。
Lさん:自分だけで取り組めることがいいと思います。
Hさん:コロナで誰もが動けない状況でしたし、そのことと受刑者が置かれた同じ動けない状況を考えると、「行ってみたい場所」やそこにいく移動手段などはどうでしょうか。
Iさん:自分は職員として勤めてた経験から「恥」や「不安」といったものを考えました。
Mさん:私は、自分がどんなものを見てみたいかという視点から、「原点」ということを考えました。子どものころのことや、今までの人生でいろいろなことがあったでしょうけれど、今も変わらずにもっているものなどがいいかなと思いました。
Jさん:私は「自分」というテーマを考えました。それは、私自身が自分を知っていく作業や過程に興味があるからです。
Gさん:「聖霊」というのを個人的にはテーマにしたいですが、今日のお話のなかでは「今日一日」というのがいいのではないかと思いつきました。
石塚先生:「あの夏の日」。ただ、絵なのか、詩や短歌といった書くジャンルと、何をメインに集めたいのかによっても違うかなと思いました。
Aさん:「恋愛」。悪いことをした人でも「恋愛」ってするだろうし、人生に彩りが加わるものだと思うので。先ほど I さんの「恥」といったテーマから連想して「ダメな自分」っていうテーマもいいなと思いました。
Bさん:自分も「出所後の生活」というのはよく考えてました。
風間:自分は「日常」というテーマを考えていました。それは、今ある刑務所の日常生活でもいいし、自分が失ってしまった日常でもいいのですが。海外の事例では、先ほどあったような「自身の未来像」や「待っている人」といったテーマもありました。
五十嵐さん:将来の「希望」、出所後の「夢」っていうのがいいかなと思います。
ディスカッション:向き合いたいのは過去?未来?
これまで出てきたアイデアから、いくつかの方向性があるように思いました。一つの大きな傾向は、やはり自分と向き合うテーマ案ですよね。それは、あらゆる表現が自分自身を知ることにつながるので、「行ってみたい場所」をテーマにしても、そこにその人らしさが出たりします。
もう一つは、「子どもの頃の思い出」や「人生で一番楽しかったこと」「あの夏の日」など、自分の過去を思い出すことか、「出所後の生活」や「希望」「夢」「未来の自分像」といった未来を考えるものの違いです。どちらがいいということではないですが、こうした方向性の違いについてもう一度みなさんから意見をもらいました。
Aさん:風間さんの話を聞いて、刑務所にいる時はつらい現実がそこにあるから、何かを書いている時間くらいは楽しい時間であってほしいから、自分は未来のことをテーマにする方がいいかなと思いました。
石塚先生:難しいですね。過去も今も未来も、同じ線の上にあるわけですよね。過去だからといって後ろ向きなわけではなく、それを見ているのは今なので、それは前に向かっていく視点でもあるはずです。未来を見なさいって言われるのは時にしんどいかもしれません。未来に向かう、何かしらの方向性を示してあげると考えやすいのではないでしょうか。
Gさん:自分は未来を考えたいです。未来に希望を持って欲しいという自分の思いがあるからです。
Jさん:自分は「恥」というテーマに興味をもちました。私も、過去をみることで未来につながっていく視点もあるかと思ったので、未来か/過去かという二択ではないのかなと思いました。
Mさん:表現を促せるテーマは「あの夏の日」という、より具体的で幅を持たせられるテーマかなと思いました。
石塚先生:「あの」というのは、相対的につくられるものなんですよね。今、床にペンを2つ置きました。自分に近い「この」ペンがあるから、自分より遠くにあるペンは「あの」ペンと呼ぶことにあります。裁判官の視点は、このように時系列的で立ち位置も固定的ですが、自分自身がどこに立つかによって、「この」「あの」は入れ替わることもあるし、向く方向が過去にも未来にもなります。
Iさん:自分は断固「過去」派です。そんなに未来って考えられるでしょうか。職員の経験としては、過酷な現実に晒されている人たちを見ていたので、自分としては、過去の自分から考えてみるのがいいかと思いました。
Hさん:マザーハウスが主催するなら、「未来」を考えるというのがいいとも思ったんですが、今のお話も聞いて、未来のことを考えられない状況にある人もいて、さまざまだと感じました。考えられないながらも、こちらから働きかけることで少しでも「未来」のことを考えてみて欲しいという思いもあります。
Fさん:自分は過去のことなんですけど、子どもの頃とか誰でも経験として持っているものの方が考えやすいかなって感じただけです。
Eさん:自分は、年齢も年齢で、未来のことをと言われても考えられないので、過去の失敗を考えながら少しでも良くなっていけたらなと思います。
Dさん:お気に入りの場所があって、そこに行くとがんばれる場所なんですが、そういう気持ちになれる場所のことを思い出したりすると、書く人も元気が出るのかと思いました。
Cさん:自分も、過去の一番楽しかったことを思い出して、その頃のことを大事にこれからの人生、未来に向かっていきたいと思っているので、過去か未来かと言われてしまうと、過去になるのかなぁと。
五十嵐さん:修復的司法を提示したハワード・ゼアさんは、過去の自分との和解が大事だと言ってますよね。過去の自分との出会いがあり、和解ができることで未来がみえてくると。過去いろんなことがあって、そのことで「あなた何やったんですか?」って行政の人とかに言われ続けていると、それは嫌だなと思います。ずっと過去のことを引きずり続けるようで。自分自身で向き合う分には、過去も未来も両方大事かなと思います。
風間:過去か未来かで多数決をするつもりはなかったのですが、見事に半々ですね。みなさんのアイデアを参考にしながら、持ち帰って私の方で考えさせてください。
刑務所アート公募展の壁:そもそも募集できるの?
風間:今、公募展をできる前提で話してきましたが、五十嵐さんにお話を聞いていると、実はいろいろ困難なことがあるようです。例えば、応募用紙として画用紙1枚を同封することも、どうやらできないらしいのです。いったいどのようにして紙やペンなどを入手してもらうのか、そうした助言も募集案内には含めないといけないかもしれません。
五十嵐さん:画用紙は、自主学習願を出すことで手に入れられます。自主学習をしたいので、画用紙を購入したいと理由を書いた願箋を出し、許可が降りれば特別購入願いで画用紙を購入することになります。それを外に送ることも、手紙への同封許可願か郵送宅下げ願というものを出すことで可能です。マザーハウスにもいくつも絵が届いています。
刑務所の中で本人が画材を入手したりはできるけれど、こちらから送ってあげることはできないんですね。法務省関係者に聞いた話では、色紙は入るみたいです。なぜかわからないですが。
石塚先生:今お話にあったようなことを、募集案内に書いてあげればいいですよね。あるいは法務省側に協力をあおぐというのもありかもしれない。こういう展覧会をやりたくて募集したいんだと。
風間:やぶ蛇ではないですが、聞いたらシャットされてしまう可能性もありますよね。
石塚先生:ありますね(笑)。トラブルが起きることは悪いことではなくて、トラブルが起きても、なぜできないのか、ということを争っていけばいいわけです。
五十嵐さん:刑務所で購入できる物品の中には、画用紙も半紙ももともとあるので、特別購入願いで必ず購入はできる。その時に、自主学習願いという許可をとらないといけないだけなんです。
石塚先生:余暇の時間で「改善・更生に役立つ」ってことで自主学習を認めないといけないと。
Cさん:絵画クラブに入っている人や、絵画を居室で描くことの許可を求める願箋みたいなのがあって、その許可が通ってる人は居室でも描けます。
風間:こちらから応募用紙を送る方法として、画用紙はダメでも、白紙のコピー用紙もダメなんですか?
五十嵐さん:以前に名前の書いていないポストカード(発信ができる白紙のポストカード)は通らなかったですね。
石塚先生:基本的に、通信か宅下げ・差し入れかという回路があって、宅下げや差し入れはチェックがきびしい。通信(手紙)であれば、アンケート調査もやれましたよね。画用紙も送ってみちゃえば?
風間:詩や短歌、エッセイなど文字ベースのものは通信、手紙の中でできますよね。絵だけが課題で。ただ、応募用紙があると、字数制限などを設けることなく、この応募用紙の範囲でといえるので、その良さはあるのですが。
石塚先生:今回作品を集められたとして、受刑者の方にもどんなふうにして応募ができたのか、アンケートのようなものをとると良いですね。次回からの改善につながります。
賞品はなにがいい?
五十嵐さん:石鹸やノートなど、刑務所の中で購入できる物品リストにあるものは、自分で入手しろということで、差し入れができなくなりました。郵便小為替は入ります。
石塚先生:現金っていうのは、なんか印象が悪いよね(笑)。
Dさん:刑務所がやっている文芸作品コンクールの賞品は、図書券でした。受刑中は使えず、出所時にもらえるものでしたが。
五十嵐さん:切手も送ることはできますし、受刑中も使うことができます。
風間:色鉛筆とか、便箋とか、そういうものは入らないんですか?
五十嵐さん:入らないです。
風間:ご希望の書籍を聞いて、本を送るのはどうですか?
五十嵐さん:それは大丈夫だと思います。今もできている差し入れなので。
おわりに〜受刑者から届いた手紙
五十嵐さん:今回、こうした刑務所アート展で公募をすることを、事前に受刑者に知らせたところ、お手紙をもらうことができました。紹介させてください。
「文芸展の企画を知り、嬉しく思いました。私は音楽が好きで、その歌詞に心を動かされることがあり、思いのこもった表現には人の心を動かす力があるのだと信じています。自分でも詩を書いています。この企画が実現することを願っていますし、私も応募に挑戦しようと思っていますが、ペンネームの使用について、私のいる施設では、ペンネームの応募ができません。以前、ペンネームを用いた際、強制で黒塗りにされ、「匿名」と書かれることがありました。」
このように、受刑者たち自身も表現することを大切に思っています。できないこともいろいろ多いですが、出所した人も含めて、多くの人に応募してもらいたいです。
Aさん:自分は最近、人前で話すことなど自己表現をすることで、そういう場所をもらえることですごく元気になるので、この企画がいろんな人に元気を与えられたらいいなと思いました。
Hさん:今日参加してみて、自分は刑務所のことを全然知らなくて、通信と差し入れでも違いがあるとか、できないことの多さにも驚きました。
Jさん:今日は、多くの当事者の方がいらっしゃって、自分はそうではないんですけど、もっとそうした非当事者の方もこのプロジェクトで輪が広がっていくといいなと思いました。
(おわり)
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